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奇跡が起きる時 [心]

奇跡が起きる時


良く医者から見放された方が多く院を訪ねて来られます。
私達、治療家としてお手伝いできるのは半分位しかない事を前もってお伝えしています。
あと半分は、クライアント自身の治癒能力にかかっています。
外氣功療法は、とにかく無限なる宇宙(虚空)と魂をつなげる役目、いうなれば奇跡を呼ぶ場まで魂を送る事はでき、その場に体力が持つまでは居続ける事まではできます。
この先は、クライアント自身が体力のある内に変化しないとなりません。
何を変化させないとならないか?
心です。
今まで生きてきた心ではなく、新しく生まれ変わる心と生き方を持たないとなりません。
簡単に言うと、利己から利他の精神にならないとなりません。
本来、私達の身体である物質は、みな宇宙から創造されたものです。この物質自体が愛するエネルギーの結晶出来あがったものであるために利己なるエネルギーが治癒を妨げています。
病気はいかに利己、自己中心で生きてきた結果にすぎません。
だからこそ、心に怒り・妬み・恨み・憎しみ・許せない心・心配性・不信感・恐怖・恐れ・嘘・偽りなどを細胞に記憶させて沁みつかせています。
沁みついたネガティブ感情を浄化させて、新しいポジティブ感情を持った細胞に変化させないとなりません。
そのために必要な事は
『みなを愛する心になる。』
『みなのために生きる道に進む。』
この二つが奇跡を呼びます。

ご覧下さい。奇跡が起きる瞬間とは・・・
http://www.youtube.com/watch?v=Qbsy4NEoTlU

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心の磨き③(中村天風語録より) [心]

心の磨き③(中村天風語録より)


病は教えであり、魂の鍛えと心を磨くために気づかせて頂けるものである。
病が治るためには、心の磨きなくしてありえないのです。
中村天風は、人間存在の根源は「心の有りよう」に求め、われわれの人生は「心の支配」を受けていると断言している。

『宇宙の因果律』
考えてみよう。怒ったり、悲しんだり、悶えたり、迷ったり、苦しんだりしているときに、気持ちがいいか。
静かに、わが心に「心に憎しみはないか、怒りは、悲しみは、嫉みは、悶えは…」と問うてみよう。宇宙には因果律という法則が巌として存在している。だから、そういう心持ちでいる人は、いつまで経っても本当の安心立命は出来はしない。美しくしておくべき心の花園に、自分から汚物を振り撒いて歩いているようなことをして、それを、「天命だ。あるいは逃げることのできない、せっぱつまった業だ」などと考えている人があるなら、結局その人は人生を、寸法違いの物指しで測っているのと同じような結果を、作っているようなことになる。だから、良い運命の主人公として生きていきたかったら、何を措いてもまず、心を積極的にすることに注意深くし、終始自分の心の監督をしていかなければならない。
宿命を統制するにはもう一つ必要なことがある。それは、常に、心の中に感謝と歓喜との感情を、もたせるように心がけることである。何でもいいから、感謝と喜びで人生を考えるように習慣づけよう。

心で思うことは、必ず結果を生むようになっています。
病の原因も、心に生んだネガティブ感情が後になって症状として現われています。
だから、病を治すにも心の力が必要になります。
「治りますか?」「治りたい」「治りますように」「治す」などのネガティブ感情では治る力がないのです。
ポジティブ感情である「治る」という強い思いと「治った」という創造の力が病を治してくれます。
心で蒔いた種は必ずや花を咲かせます。
貴方はどんな心の種を蒔きますか?

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心の磨き②(中村天風語録より) [心]

心の磨き②(中村天風語録より)


病は教えであり、魂の鍛えと心を磨くために気づかせて頂けるものである。
病が治るためには、心の磨きなくしてありえないのです。
中村天風は、人間存在の根源は「心の有りよう」に求め、われわれの人生は「心の支配」を受けていると断言している。

『生まれながら』
人としてこの世に生まれ、人間として人生を生きるために、第一に知らねばならない事は、人間の‘いのち‘に生まれながら与えられた生きる力の法則である。自分の命の中に与えられた力の法則というものを、正しく理解して人生を生きる人は限りない強さと、歓喜と、沈着と、平和とを作ろうと思わなくても出来あがるようになっている。一番先に我々はそれを知らなければならない。
ただ、はっきりと気づかなくても、我々の多くはこうした事を求めていたに違いないのである。求めても、どうしても自分の心にキャッチする事ができなかったのは、我々の今までの受けた教育教養が、科学的な方向のみに片寄ったものであったからなのである。1+1=2という、この算数的なやり方で教育された結果として、倫理思索を進めていこうとする計画にいつも失敗しているのである。
我々の心が、ある事を考え始めた時に、どこまでが考えている心で、どこまでが考えられている心という区別がつかない。一言でいえば、哲学的思索に馴れていない。そのために自分の生まれながらに与えられた生命の力に対する法則は、本能的に知っているはずの事柄であるにもかかわらず、それを分からずにいるのである。

哲学的にものを考える上で、先ず考えなくてはならない事があると思います。それはなぜ、人は存在させられたのか?
人はだれが作り、何のために?
この事をしっかり考える事は本当の真理を知ることです。
この事は科学で証明出来ない事です。
そのために必ずや目に見えない力の法則を感じるはずです。
証明できないから信じない。という考えは私達を不自由にさせて解放感のない心にしてしまいます。だから、その考え方から脱却を図らないと私達は幸せに生きる事ができないようになっています。

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心の磨き①(中村天風語録より) [心]

心の磨き①(中村天風語録より)


病は教えであり、魂の鍛えと心を磨くために気づかせて頂けるものである。
病が治るためには、心の磨きなくしてありえないのです。
中村天風は、人間存在の根源は「心の有りよう」に求め、われわれの人生は「心の支配」を受けていると断言している。

『肉体は道具』
肉体は自分だと思って人生に生きると、そらもう、人が気付かない恐ろしい影響が余儀なく我々の命の上に働きかける。それは何だというと、肉体を自分だと思って生きていくと、命の生きる力が衰えてくるんですよ。だから、まず何をおいても、第一に肉体を自己と思うような間違いは厳格に訂正しなきゃいけませんよ。
今まではお腹が痛かったりすると「ああ、私が痛い」と、こう思っていただろ。「私が痛い」という思い方を、今度は天風式にこういうふうに考える。お腹が痛いときにだね、第三者のお腹が痛いと同じような気分になってごらん。自分以外の人のお腹が痛いのと同じように、「今、俺の命を生かすために使う道具である肉体の腹のところが痛いんだ。私が痛いんじゃない。私が生きるために必要な道具のお腹が痛い」と思えばいいんだよ。
今までは洋服にほころぶができると、あなた方自身にほころびができたように思っただろ。ブラウスの背中のところの穴があいたとしたら、「あっ、背中に穴があいちゃった」と思う。そうじゃない。それを着ている洋服に穴があいたんだから。繕えばいい。
というふうに、肉体も客観的に考える余裕をもたなきゃいけないのよ。

肉体が病んでも、心は病ますな!
私たちは地球上に生命体として存在しています。しかし、本来の自分とは、見えないエネルギー系の命体(魂と心)であります。見える肉体である生体(身体)は地球からお借りしているものです。
その生体が病まっていても、本来の自分である命体とは直接関係ないのです。
その命体である心さえも病ましてしまっては、病気は一向には治ることはありません。
たとえ痛くても、生体に向けて私のせいで痛くさせてごめんなさいね。これからはもっと大切に使わせて頂きますからね。いつもありがとう。という陳謝と感謝する心が大切です。
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